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写真
写真提供Ⓒ一般財団法人神戸国際観光コンベンション協会

モダンな風が吹く「みなと神戸」

天然の良港 みなと神戸
写真 神戸が日本史に大きく登場したのは平清盛(1118-1181)の時代。彼は大陸(宋)との貿易を通じて富を増やし国家の経営をしたいと考えたらしく、当時、大輪田泊(おおわだのとまり)と呼ばれた神戸港を大規模に造り直した。
1.質のいい真水を確保できる。
2.貨客を満載した時、充分な喫水を確保できる
大輪田泊は良港の条件を満たしていた。清盛は当然のようにそれを知っていたのだろう、遂には『福原京』を近くに造り、国家の繁栄を夢みたりしている。
およそ500年後、清盛とおなじように、信長秀吉は「大坂」をベースにした交易海洋国家を目指している。やや短絡するが、そのことは清盛の夢にも一理があったとも思われ、大輪田泊ともども語り継がれていいことだろう。

写真 上段左上から、旧神戸居留地38番館/旧居留地(明石町筋)/チャータードビル/神戸市立博物館、下段左上から、KIITO/海岸ビルヂング/旧神戸居留地十五番館/神戸税関
写真提供Ⓒ一般財団法人神戸国際観光コンベンション協会





英雄たち

英雄たち

400年続いた公家による治世を終らせ、武家による統治社会をスタートさせた男である。 写真また、今の神戸港を開き、瀬戸内海航路を整備して、大陸との貿易も盛んにしている。ただ、公地公民や荘園制など、社会を治める制度をそのままにしたため、開墾新地主に支持された頼朝にとって代わられている。

英雄たち

写真勝海舟は下級の幕臣、坂本竜馬は裕福であったものの土佐藩の郷士の出であった。大陸清国で「尊皇攘夷」運動が起り、それに習うように尊皇攘夷を唱える当時の日本に、2人はその危うさを感じ、富国強兵の道筋を考え続けた。開国を迫り圧力をかける英・米・仏・写真蘭に抗するため、神戸に「神戸海軍操練所」と「神戸海軍塾」をつくり、多くの人材を育てようとした。